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アルガンベイ2008夏①

2008-08-26 更新
僕の商売はスキーやスノーボードの商品の輸入販売を主としているため、夏は比較的時間が取れる。
そして、8月に2週間の夏休みをもらった。

今から9年前。僕は1999年にスリランカで初めてのサーフショップ「A-FRAME」をローカル仲間と作った。
この9年間の間、ある者は日本人と結婚して日本に住み、ある者はヨーロピアンと結婚してヨーロッパに住み、若かった仲間達は、ある程度歳をとってそれぞれの生活を送っている。

中にはサーフィンから離れてしまった者、冷たい海にも負けずにサーフィンを続けている者も...。

僕はそんな仲間達のことを考えていたら、自然とスリランカのマンボーに電話をかけていた。マンボーは「A-FRAME」を経営する僕のパートナーだ。最近は雑誌やテレビにもよく出演して今やスリランカではすっかり有名人になっている。

電話が繋がると、
「ハル、8月にインドネシアに行かないか?」
と提案してきた。もちろん、僕は二つ返事でOKを出した。

出発日の4日前、マンボーと再び 連絡をすると、「タイまでのビザはとれたが、インドネシアのビザが下りない...」と嘆いている。

僕ら日本人はどこへ行くにもほとんどビザは必要がないのだが、途上国の人たちにとっては深刻な問題なのだ。僕はマンボーに会えないなら今回はインドネシアを諦めてスリランカに行こうと決めた。

僕は急遽インドネシア行きのフライトをキャンセルし、スリランカ行きの予約に切り替えた(お盆休みに席が空いていたのはラッキー!)

出発当日、沢山のお土産とサーフボードを引きずりながら通勤ラッシュに揺られ、やっとの思いで成田空港に辿り着いた。空港ではスリランカ航空のスタッフがとても親切に対応してくれた。フライトはモルジブ経由だったので、沢山の新婚カップルが乗り合わせていた。飛行機の中では睡眠導入剤を飲んでたっぷり寝られたので、13時間のフライトもそれほど苦痛ではなかった。

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コロンボ空港には、ヒッカドゥワのローカル仲間が迎えに来てくれていた。僕らは直接アルガンベイには行かず、まずはヒッカドゥワへ向かった。

道中はさすがに内戦中ということもあって、あちらこちらに検問所があったが、ニコリと笑って「ママ、スリランカ、ゴダック、アーサイ」と言うと強面の兵士も笑顔になって「行っていいよ!」ということになる。

この言葉は「僕はスリランカが大好き」という意味。愛国心の強いスリランカ人にはマジックワードなのだ。

空港からヒッカドゥワまではおよそ3時間だが、道中にある数軒の友人宅に寄り道したせいでヒッカドゥワに着く頃にはすっかり太陽が昇り始めていた。8月のヒッカドゥワはモンスーンということもあってサイドからの風が吹き続けていた。
サーフ出来ないコンディションではなかったが、ローカル仲間達と会うことを優先させるために海に入るのは我慢した。

マンボーを初め、沢山のローカルたちと再会を喜んだ。そして、少しやらなければいけない仕事も済ませると、あっという間に陽が傾き始めていた。

夕食を済ませた後、マンボーの弟のババイヤ、そして数人のローカル達とワゴンに乗り合わせてアルガンベイに向かって出発した。アルガンベイまではおよそ9時間だが、出発して間もなく睡魔に襲われた僕は、気が付くとあと数時間でアルガンベイという所まで来ていた。

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今回のOne Earthはここまで。
次回はアルガンベイに到着してからのお話をお伝えします!

★BCMワンポイントアドバイス★
海外波情報でもお伝えしているスリランカは、雨期と乾期があります。

ハルさんが訪れた8月は雨期の真っ最中で、南~南西風が強まりやすくなるため、風をかわす東海岸のアルガンベイがベストシーズン。
サーフポイントはライトのリーフブレイクがメインで、ポイントによって厚い波、掘れた波があり、ショートもロングも楽しめます。
基本的にローカルはフレンドリーで、ビジターはヨーロピアンやオージーが多いようです。

現在は内戦中ということで少し危険を伴いますが、パーフェクトコンディションを少人数でシェア出来るスリランカは、サーファーとしてとても魅力的な場所。

これから数回続くハルさんのスリランカでの話を参考にトリップの計画を練ってみては?