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【現地コラム】岩手県・浪板①

2011-04-10 更新
東北地方を中心に、各地に大きな爪あとを残した「東日本大震災」。
現在も避難生活と懸命な復興活動が続いていますが、定期的なコラムとして、各地の現状などをお届けします。


岩手県・浪板
第1回:震災当日

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3月11日朝、いつも通りに浪板へ向かい、波が無かったので店を開け、昼過ぎからボードの修理と製作をしていました。

2時間位作業していた時にあの地震がきて、かなり長い揺れだったので、すぐ工場から出て店の中へ・・・
物が結構倒れていて「これはヤバい」と思い、すぐ作業着を脱ぎ急いで着替えたものの、結構あせってしまいお客さんのオーダーの板2本だけを車に積み込み、浪板観光ホテルの上の駐車場の高台に避難。
海を見たらかなり潮が引いていて、地震から20分位で津波が来ました。

自分の想像では、津波は波がブレイクするように来ると思っていましたが、実際には水が溢れる様に増え押し寄せて来て、最初の津波で私の店(K-SURF)は半分以上水没してしまい、それを上から眺めショックを隠せずにいました。
namiita20110408b

気が動転して国道の上から店を見ていたら、次の瞬間一気に水が上がってきて私がいた国道まで波が押し寄せてきましたが、必死に走って高台の方へ逃げ、何とか助かりました。

その後も、もっとデカイのが来るのではないかと、すごい恐怖感で海を見ていたら、河口から瓦礫が一気に流れ出し、ホテル前の岩場では渦が巻いていました。

また潮がひき始め、浪板海岸の底が沖まで見え、「これは本当にヤバい」と思いもっと上の線路の上に避難。その後それ以上大きい津波は来ませんでしたが、自分が見ていた限り8発位の津波が来ていたと思います。

その時妻からの「家族は無事」というメールが奇跡的に届き、一安心してメールを返信しようとしましたが携帯が繋がらなくなってしまう。
家族に自分の無事を知らせる事が出来なかった・・・
たぶん俺の事を心配しているだろうと思い、家に帰ろうと車を走らせました。

しかし、途中の町は津波で流され瓦礫しか残っていない状態。道はすっかりふさがれていました。
情報が欲しいのでラジオをずっと聞いていて、1時間位したら仲間の哲也の車が来たので様子を聞きに行ったら、哲也も家を流され避難所に行くと聞き、俺も一緒に行く事にしました。

とても心強かった。

なんせ、停電で真っ暗・・・。何も見えず状態で避難所へ向かったが、途中で友人に会いその友人がやっている保育園に避難することにしました。
水が出ないので近くの沢に行き、5人でタンクに水をくみ、ガスは運良くプロパンガスだったのでその水で米を炊いた。
その夜の食事は小さいおにぎり1個でした。
とてもありがたかった。

その夜はとても寒く余震も続き、向こうに見える山は真っ赤に燃え盛り、不安な夜を過ごしました。
翌朝、夜が明け始めた5時、私は自宅のある釜石に歩いて帰ることにしました。


...続く
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岩手県上閉伊郡大槌町
K-SURF
杉本浩

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