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【現地コラム】茨城県・高萩①

2011-04-19 更新
東北地方を中心に、各地に大きな爪あとを残した「東日本大震災」。
現在も避難生活と懸命な復興活動が続いていますが、現地コラムとして各地の現状などを定期的にお届けします。


茨城県・高萩
第1回 震災当日

震災当日の3月11日は、風が弱くて小春日和でした。

波はフラットに近く、その日はサーフィンを諦めて美容室へ向かうことに。
カットが終わり、カラーの待ち時間中に地震が来ました。
最初は、横揺れだったと思いますが次第に勢いが増し、素早く外に出てみるとさらに大きな縦揺れと、大きな振動音。

「とうとう来てしまった。」
以前から、地震などの警戒は自分なりにしていたつもりでしたが、まさか本当に・・・。
混乱しながらも、強い揺れがまたさらに強くなる。
何処かで多分、大変な事になってしまっているんじゃないか?
と、長い揺れのなかで凄く不安になりました。

携帯電話のワンセグを開こうとしますが、手が震えて思う様に操作も出来ない。
やっと操作を終えると、画面には東北地方の津波映像や各地の震度情報、「海岸には大津波が来ます。高台へ避難して下さい!」と繰り返しのアナウンス。
この時はもう車で自宅へ向って走り出していて、家族、友人、知人の安否を心配し、気が動転していました。

自宅に到着すると、鍵は開けっ放しで避難した様子。津波の到達予想時刻を気にしながら、やっと避難所に辿り着いて家族の無事を確認。やっと少しだけ安心してきました。

しかし町は停電。あちこちで瓦礫が散乱し、水道管が破裂していて、道路は水浸し状態。
自分は地元消防団に所属しているので、直ぐに詰所(つめしょ)へと向かいました。

消防車に乗り、海岸地域へ避難の呼びかけ、避難誘導などしながら高萩海岸の近くに行くと、水が凄く引いていてびっくりしました。
takahagi20110418

「津波が来ます!高台へ避難して下さい!」と繰り返し呼びかける。瓦礫を避けながら地域を走り回り、再び海岸に戻ってくると堤防からはもう海水が溢れ出て来ていました。
いつも見えている沖のテトラポットが海中に隠れて見えなくなってしまっていて、いよいよ自分達団員も、危険を感じ直ぐに避難。
第一波が過ぎて行った後に海岸へ戻ると、海沿いと河口付近は浸水していて唖然としました。

その後、避難所に戻ってからは安否確認の為に訪れる方たちの誘導や、水と食料の分配、避難所の名簿作りなどの作業をしました。
その最中にも強い余震がありましたが、自分が出来る事を夢中でこなしていきました。

家族の安否を確認出来ない人には『大丈夫だと思いますよ。重体や亡くなった方の情報はほとんどありませんので心配しないで下さい。』と励ましました。
その方は、海沿いの保育園に子供を預けるお母さん。自分の言葉に少しだけ安心した様子で、他の避難所の案内をしました。

外も暗くなるとロウソクで灯りを取り始めるが、その間にも余震は続いており、避難している皆もきっと心細かっただろう。用意されている投光器、発電機をなぜ使わないのか疑問に思い担当者に問い合わせると、発電機のガソリンが無いとの事。
500人の人が避難しているのに!行政に不信感を持ちました。

しかしこのパニックの状態では仕方ない。何とかしようと考え、すぐに車の販売業を営むサーファーの仲間に連絡を取り状況を話す。何とか中古展示車からガソリンを抜き取ってもらい、それで発電機を回し、投光器で明かりを付ける事ができました。
サーファーの連携で地域の方々の役に立つことができ、良かったと思いました。

...続く
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茨城県高萩市東本町
K’S SURF
伊藤一将

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