非会員上部PR枠用
 

【現地コラム】宮城県・閖上③

2011-04-30 更新
東北地方を中心に、各地に大きな爪あとを残した「東日本大震災」。
現在も避難生活と懸命な復興活動が続いていますが、現地コラムとして各地の現状などを定期的にお届けします。


宮城県・閖上
第3回 サーファーという仲間たち

津波の被害からは逃れられた自宅のある地域でさえ、すっかり街はその機能を失ってしまっていた。
僅かながら蓄えてあったミネラルウオーターを使い、部屋の奥から引っ張り出したキャンプ用のガスコンロで米を炊いた。
一日中ラジオに耳を傾け、日が暮れれば懐中電灯のあかりで夕食…
今になって思えば、自宅で家族揃って食事できていたというだけでありがたい。

そんな生活が何日か続く。

何時間か毎に携帯電話の電源を入れてみるが、2~3日目にしてやっとつながり始めた。
身内や取引先のメーカーさん、友人達に連絡を取り、自分の無事を伝えた。自分自身が思っていた以上に皆さん心配していてくれた様で、なんだかチカラが湧いてきた。

アメリカに住んでいる友達までメールをくれたり、支援してくれる。こんな状況にありながらもサーフィンを通じて知り合った仲間たちの存在はとても励みになった。

しかし、生活にいたっては不自由そのもの。食材やガソリンを買い求める為には何時間もかけて、その行列に並ぶしかなかった。
yuriage20110428b
※両車線の脇には、ガソリンスタンドまでの行列

ただ食材と言っても、売っている物は限られているし、ましてや現状で調理出来る物だってほんの一部だ。それでも出来るだけ体調を崩さない様に栄養を摂ろうと心掛けた。

毎日、給水所へ水を汲みに行き、その足で営業しているお店を見つけては食材を調達する日々。比較的に被害の少なかった自宅近辺でさえこの状況なのだから、沿岸部から避難所へと集まっている方達の苦労は、火を見るよりも明らかだった。

そんななか、日頃からお世話になっていたウェアブランドの営業マンさんから連絡をもらい、ウェアを送って戴くことが出来た。
津波の被害にあい、家を流されてしまった仲間たちの所へと早速届けさせてもらいました。

ある友達が、こんなコトを言っていました。
「使わなくなったサーフボードを買ってもらって、そのお金を義援金として寄付しようと思ったら、ソレは偽善者だろって怒られちゃいましたよ~。」
と。

今回、予想すらしていなかったこの大災害にあい、様々な支援をいただきとても嬉しく、励みになっています。
見方によっては色々な意見があることでしょう。
が、私個人の気持ちとしては、そうして応援して下さる皆さんの気持ちをこれから先、長期的に継続していただける事を望みます。

決して甘えている訳ではありません。
国や自治体の補償や支援よりも、こうした仲間たちサーファーの応援がどれ程、海にさえ近付く事の出来ない我々被災地のサーファーの復興へのチカラになっているか。

時間は掛かるかもしれません。

でも、誰も諦めてなんかいませんよ。

皆、サーフィンしたくてウズウズしているんですから。
yuriage20110428c
yuriage20110428a
※写真はコラム第1回目の写真と同じアングル(商店街だった場所)と、建物に滑り込んだ船。


...続く
--------------------
宮城県名取市閖上
WAVE MAKER
高橋雄治

宮城県・閖上の過去のコラム一覧