【現地コラム】茨城県・河原子①
2011-04-28 更新
東北地方を中心に、各地に大きな爪あとを残した「東日本大震災」。現在も避難生活と懸命な復興活動が続いていますが、現地コラムとして各地の現状などを定期的にお届けします。
茨城県・河原子
第1回 震災当日
行き先、日程は、全て私自身が決定。
3月8日(火)~3月11日(金)、3泊4日の台湾トリップ。2人旅だ。
日本で未曾有の大地震が起きるその時、私は帰国に向け台湾のホテルにいた。
ホテル側から、「今、日本で大地震が起きています!」と伝えられた。
最初は信じられなかったが、徐々に帰国する日本人が騒ぎ始めた。
心臓が高鳴りながら、私は友人Rから情報を聞く・・・
「東北~関東地方で震度7の大地震が発生したようです。」
うそだろう・・・!?
まさか・・・!?
信じられない!!
そんな気持ちだった。
すぐに家族へ連絡を取るが、いくら電話しても全くつながらない。
私の心は不安と心配に包まれていきました。
台北(松山空港)へ向かうバスの中で、現地ガイドより説明があった。
「先ほど、日本で凄い地震が起きました。これから飛行機が飛ぶかどうかは、まだ分かりません。分かり次第連絡します。」
しかし空港に着いても、一向に連絡は無いまま待機させられることとなる。
その後、羽田空港からの情報が入った。
「地震による滑走路の点検に時間がかかっている。そして強い余震があり、滑走路は使用出来ません。」
もしかすると、台湾から出国出来ないかもしれない!
そんな言葉が飛び交う。
待機中、空港に設置してあるテレビから、信じられない津波のライブ映像が流れてきた。
私はこの映像を見て、言葉を発する事が出来なかった。
30分は釘付け状態だった・・・。
この津波映像を見る限り、私の経営しているサーフショップ(河原子北浜ポイントの目の前)はもう無くなっているのではと、覚悟していた。
とその時、突然家族からメールが入った。
「私たち、親も家族も全員無事です。心配しないで・・・!
でも、日立市も地震と津波で大変な事になっているよ!!」
という内容だった。
ライブ映像の最中、家族の安否を知り、ホッと胸を撫で下ろした。
私もメールを返した。
「全員無事で、本当に良かった。今、松山空港にて足止めをされています。
今日のうちに帰れるかどうかはまだ分からない。また連絡します。子供を宜しく。」
飛行機が飛べない状況が続き、2時間が経った頃・・・
放送が流れた。
『日本へ飛び立つ飛行機は2便。今から、搭乗手続きを行います。』
やった!
やっと帰れる!
素直に思った。
第一段階突破である。
...続く
--------------------茨城県日立市河原子町
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井上康則
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