【現地コラム】茨城県・河原子②
2011-05-06 更新
東北地方を中心に、各地に大きな爪あとを残した「東日本大震災」。現在も避難生活と懸命な復興活動が続いていますが、現地コラムとして各地の現状などを定期的にお届けします。
茨城県・河原子
第2回 日本へ、自宅へ
東京羽田空港までは、2時間40分ほどで到着する予定。
しかし勿論、飛行機の中では震災の影響、この先どうなるのか、不安で一杯だった。
日本時間で午後10時過ぎ、東京羽田空港に到着。何箇所かのゲートを通り、ロビーに出た瞬間に驚きの光景が目に飛び込んできた。
なんとそのロビーには、交通機関(電車、バス等)が動かないために足止めとなった人たち、数千人が巨大雑魚寝状態になっていたのです。
夢ではなく現実。驚きでした。
そしてその状態は地震発生の時刻、午後2時46分から続いていたそうです。
私達もなんとか居場所を作り、空港内で寝ることになりました。
寝苦しい一夜を過ごし・・・
明くる朝、情報を集めてみると、京急線だけが運行しているとのこと。
私達は、東京駅まで行かないとバスに乗れない。
仮に行けても、日立までの常磐自動車道は全面不通。
どうしたものか・・・。
しかし午前11時、サーファーの友人であり地元の先輩「N氏」から電話がかかってきました。
N氏)元気?大丈夫?凄かったよ地震・・・
私 )台湾で見たニュース映像で全てを知りました・・・
N氏)で、今どこに居るの・・・?
私 )羽田空港で動けずにいます。交通機関がSTOPしてるため帰れません。
N氏)今、千葉県の流山に車で来てる。なんとか電車を乗り継いでココまで来れない?一緒に乗せていくよ。
私 )ホントに!?何があってもそこまで行きます。必ず行きますから待っててください。
私達2人、人の多さでまったく動かない状態の中からなんとか京急線に乗り、秋葉原~つくばエキスプレス、タクシーと乗り継いでN氏の待つ流山へ。
到着まで2時間以上かかりましたが、ここで友人にあえたのは、正に奇跡でした。
交通状態の悪い中、そこから国道6号線をひた走り、5時間後になる夜の10時、とうとう自宅(日立市)まで辿り着くことができた。
第2段階突破である。
しかしそこには、震災によって私の住む町には電気が無く、真っ暗な闇の世界が広がっていました。
...続く
--------------------茨城県日立市河原子町
MIZUKISURF
井上康則
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