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【現地コラム】岩手県・浪板③

2011-05-08 更新
東北地方を中心に、各地に大きな爪あとを残した「東日本大震災」。
現在も避難生活と懸命な復興活動が続いていますが、現地コラムとして各地の現状などを定期的にお届けします。


岩手県・浪板
第3回 家族との再会

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釜石市内のガレキの上を歩いて、やっと家族のいる場所に辿り着きました。
家へ向かう上り坂を歩いて、家が近づくにつれ安堵感からか膝に痛みが走りました。
それまで必死に歩き続けてきたけど、やはり膝は限界。
家の近くの裁判所に人が集まっていたので、そこへ向かうと妻と息子がいました。
娘は中学校にいて無事だと聞き、安心したところで一気に疲れが襲ってきました。

妻は俺が死んだんじゃないかと、一晩心配で眠れなかったそうです。
そしてまた近所にいる妻の両親も、俺の顔を見たら安心して涙を流していました。

とりあえず自分の家を見に行き、家が無事なのを確認してからまた避難所へ。
まだまだ大きい余震が続き、いつ家が崩壊するかも分からないので、避難所に車を停めて車の中で少し休む事にしました。

地震と津波と火事で、壊滅的な被害を受けた大槌の町を見て歩いて来たので、無事だった家族と家を見て本当に奇跡のようにも感じた。

その日は避難所でご飯をもらい、夕方6時頃には暗くなってきたので、妻と息子とその友達と一緒に車で一晩過ごした。
寒い寒い夜だった。
ガソリンが無くなりそうだったので、エンジンは本当に寒くなったときに少しかけるだけで我慢。
釜石の3月はまだまだ冬のような寒さのため、いっぱい着込んでホッカイロをいっぱい貼って、毛布をかぶって寝ても、車の中ではやっぱり寒い。
妻は昨夜眠れなかった疲れと寒さから、両足の膝から下を全てつってしまいかなり痛がっていた。
俺はラジオをつけて震災の状況を聞きながら、これからどうなっていくのかという不安と、チームのみんなの安否を心配していた。

避難所では自衛隊からの物資はまだ届いてないため、近所の人達で家にあるものを持ち寄っての炊き出しが行われていた。
寒い寒い避難所で食べた、みんなが持ち寄ったいろんな物が入ったスープ。
冷たい体に染み入る温かいスープで、本当に美味しかった。
あの味はたぶん一生忘れない。
各家庭の冷蔵庫に入っていたいろんな物。
いかそうめんや野菜類、ソーセージや芋や山菜。
とにかく何でもありって状態で入っていたけど、いろんなダシが出ていて本当に美味しかった。

男達は山に行って沢水を汲み、避難所の灯油も無くなり始めていたので、津波で流された車の持ち主が、近くの家の人と交渉して灯油と交換。
物々交換が始まった。
少し下まで降りると、そこはガレキの山。
そのガレキを拾ってきて乾かし、焚き火に使った。
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雪が降ると、バケツや大きい箱に雪をためてとかし、その水を使ってトイレの水を流したり、妻は洗濯板で洗濯もした。
今までの生活が、いかに贅沢な物だったのかを思い知らされた。

でも、一番大変だったこと。
それは情報が入らず、何が起こっているのかラジオからしか分からなかったという事。

テレビも見れず、携帯を充電出来ないため、あまりワンセグを見ることも出来ない。
(電波も悪く見れなかった)

新聞も来ない。
ラジオではいろんな所で起こっている地震の情報と、福島原発の事故の状況と、各地域の死亡者数の発表。
詳しい事が良く分からない・・・。
一番被災している自分たちに、情報が全く入らない。
何がどうなっているんだろう・・・。
不安な日々が続いた。

中学校に避難している娘に会いに行ったのは3日後の事。
その話はまた次回・・・。


...続く
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岩手県上閉伊郡大槌町
K-SURF
杉本浩

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