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【現地コラム】宮城県・本吉①

2011-05-07 更新
東北地方を中心に、各地に大きな爪あとを残した「東日本大震災」。
現在も避難生活と懸命な復興活動が続いていますが、現地コラムとして各地の現状などを定期的にお届けします。


宮城県・本吉
第1回 震災当日

motoyoshi20110506a
「3月11日 あの日」
午前の9時半。
私はミニロングで小泉第2、setコシの形いい波に3人で入水。

午後、店の近くの建物の中にいた時。
2時46分、はじめソフトな横揺れ、次第に大きな大きな横揺れの地震が。
揺れが止まるのを待ってもぜんぜん止まらない中、外に出ました。
国道45号線を渡って店に戻るときは、まるでスポンジの上を歩いているよう。
店に戻ると、近くのローカルサーファーが「川の水が一気にひいたよ!ボード積むなら今。早く避難しないと!!」。

実は1年ほど前に起こった地震のときも、同じく津波警報が出ていた。
が、結局大きな津波はやってこなかった。

声を掛けてくれたローカルサーファーは、警報時の避難方法などもシミュレーション済み。
私と長男の息子、3人とも感覚的には「前回とは違う」と分かっていたが、それでもここまでの大津波を予想しきれていなかった。

一時避難先とされているのは、店から500mほどのセブンイレブン。
距離としてはそんなに離れていませんが、「津波想定区域」に入ってしまっている店よりも高台に位置するため、3人で車を4台と、ゴールデンの犬も搬送。
お店のサーフボードなどを優先に2往復して荷物を運び出しましたが、最後にもう一度戻ろうとしたところ、長男に止められ断念。
その間、私は実際に海の状態は見れていませんが、店と家の周りは丁度そのころ、全て津波で流されていたと後から知りました。

一番気がかりだったのは、川の対岸「小泉中学校」にいるはずの次男。
半壊したセブンイレブンでわずかな食料を買うことができたけど、これで何日持つだろうか。
雪はぼたぼた、余震が止まらない夜。
一時的な避難場所から身動きが取れない中、車のガソリンも残りわずか。
不安な一晩を車の中で過ごしました。

翌朝、歩いて店の周りまで降りていくと、小泉海岸は壮大な海になっていて、店の跡地は川の中。
少し前までの小泉海岸は跡形もなく、対岸に渡るための橋もなくなっていました。
motoyoshi20110506b

避難所にもなっていた小泉中学校へは道を迂回しながら向かい、やっと次男と再会。
本来なら震災の翌日、小泉中学校では卒業式が行われる予定でした。
中学2年生の次男は、卒業生を送り出す歌の指揮者を担当。
当日の話しを聞くと、体育館で翌日の練習を行っていたところで地震発生。
大きな揺れと先生の怒鳴るような指示のもと、皆で校庭に避難。
そのとき次男は、高台より津波に飲み込まれる店や家、その全てを見ました。
「母は死んだかも」
そう思って、一晩を過ごしたようでした。

その日から、水、電気、携帯など全てがストップした中での避難所生活。
560人。みんなで協力しあいながらの生活。
先は見えないながらも、生きていればこそ。

約1ヶ月の避難所生活となりましたが、その間には多くのサーファーにご支援を頂き、地域と「サーフィン」の関わりもまた、強く感じることになりました。


...続く
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宮城県気仙沼市本吉町
かぶとむしsurfshop
鈴木優美

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