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【現地コラム】茨城県・河原子③

2011-05-12 更新
東北地方を中心に、各地に大きな爪あとを残した「東日本大震災」。
現在も避難生活と懸命な復興活動が続いていますが、現地コラムとして各地の現状などを定期的にお届けします。


茨城県・河原子
第3回 真っ暗な町と奇跡。そして放射能・・・

3月12日夜10時。震災の翌日に台湾から羽田、そして自宅に辿り着いた私。
日立市の自宅アパートは、全てが真っ暗で何も見えない状態でした。

自宅に入ると、ロウソクの炎だけが見えました。久しぶりに会う家族の声が聞こえてきた。
丸1日半、何度もの難関を乗り越えての再開に、私と家族は抱き合って喜びました。
そして現実に起きている状況と、地震当日の様子を聞き、心から驚き悲しみ震えました。
音と灯りの無い世界、ロウソクで暮らす夜、今だ余震がつづく夜、何もかもが不気味でした。

翌朝、私は自分の経営するサーフショップを確認に行きました。
私の店はサーフポイントの目の前にあり、津波被害は重大と思っていました。

しかし、ここでまた信じられない出来事がありました。
津波は店まで到達せず、店の前の駐車場で止まったのです。
ただ多少の瓦礫が散乱しているだけで・・・
お店の中は多少散乱していたものの、全く問題のない状態。神様に感謝しました。
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そしてその帰り道、河原子の南浜海岸を通った私はカメラを手にしました。
ここの海岸は、全て津波の被害を受けていました。
防波堤、道路、家屋すべてが・・・
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南浜には私の友人達が暮らしていて、皆が被災していました。
命に別状は無いものの、悲しい出来事です。
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この日から、長い長い被災生活の始まりです。
町は電気、ガス、水道、全てがストップしています。
風呂には入れず、暖かいものは食べられず、トイレの水を毎日50リットルずつ家の中に運んで生活しました。
ガソリンも無くスタンドには長い行列。これが何週間も続きました。

そんな生活の真っ只中、3月14日に福島第一原発3号機の水素爆発が起きたのです。
人間は生活の為に行動するのに、放射能が降り注ぐ恐れがあり、行動は出来るだけ避けて、屋内退避するようにと、各メディアが報じ始めました。
生活が成り立たない上に、放射能の問題は私達にショックと怒りを与えました。
(福島第一原発から、日立市まで、直線でおよそ100km)

...続く
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茨城県日立市河原子町
MIZUKISURF
井上康則

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