【現地コラム】宮城県・仙台④
2011-06-04 更新
東北地方を中心に、各地に大きな爪あとを残した「東日本大震災」。現在も避難生活と懸命な復興活動が続いていますが、現地コラムとして各地の現状などを定期的にお届けします。
宮城県・仙台
第4回 仙台新港
震災から11日目、夜中から並んだ甲斐あって、やっとガソリンを20L給油する事ができました。
これでやっと新港まで行ける!お店の片付けに行ける!
いつも通っていた新港までの道をドキドキしながら進んで行くと・・・
海に近付くにつれ、道路にはまだ泥が残り、端にはゴミや瓦礫が寄せられて、田んぼや空き地には車が転がってる状態でした。
そして、新港駐車場の2km手前の所で、自衛隊・消防・警察の方がいて通行止め。
無理かな~と思ったけど、どうしても諦められなくて、事情を話して、交渉して、お願いして、なんとか通してもらいました。
道を進んで行くと、道路脇・中央分離帯は瓦礫や車だらけ。
二車線の道路が瓦礫に埋もれて、やっと車が一台通れる状態でした。
すぐ近くの住宅や工場はメチャメチャで、転がっている車には、ガムテープで○や×の印。
地震直後、この直線道路は海から逃げる車で大渋滞だった。
以前、写真を見せてもらった人に聞いてたけど、こんなに残酷な惨状だったなんて・・・。
もうすぐ海!と毎日ルンルンしながら通っていたこの2kmの道が、未曾有の大震災で地獄絵図に・・・。
想像以上の悲惨な状況を目の当たりにして愕然としてしまい、逃げ遅れて津波にのまれてしまった人、犠牲になってしまった人の事を考えると、涙がボロボロ出てきました。
そのまま直線道路を進むと、駐車場手前でまたも検問。お願いしましたが今度は絶対進入禁止でUターンさせられました。
どうしても新港の海を見たかったので、すぐ側のガソリンスタンド跡地に車を止めて、海沿いを歩いて行くと・・・
サイクリングロードになってる長い防波堤や森林が津波に破壊されてて、蒲生と新港の間の日向は無くなり、海と日向が繋がって大きな湾になっていました。
野鳥達は大丈夫だったのだろうか?
道を探しながら進むとパーフェクトなレフトのブレイクが見えました!
良かった!新港は残っていた!
すぐ横のターミナルからコンテナが何個かビーチに転がっていましたが、震災前と変わず良い波が残ってて一安心。
日向が無くなってしまったのは、とても残念だったけど、海と日向が繋がった湾の中には新たなピークが出来ていました。
そして10日ぶりにお店へ向かうと、お店のある若林区は津波が近くまで来た事もあり、ライフラインの復旧が遅く、2~3日前にやっと電気が通った様子。
ずっと店に泊り込んでた隣の居酒屋さんの話だと、治安がすごく悪くて大変だったと聞き、正直すごくショックでした。
地震で窓とドアが壊れて鍵がかからなくなってしまったお店。
停電でセコムが作動できなくて、かなり心配してたけど、とりあえず無事で一安心でした。
でも、お店のビルはずーと続いた余震で、更に亀裂だらけ。色々なところが崩れていて店内の壁もボロボロ状態。
グチャグチャの店を二日かけてやっと店内だけ片付け・・・
安否確認で来てたクラブ員達も顔を見るまで心配だったし、まだお店の周りはライフラインが通ってないところも多かったので、昼の5時間、連絡所・給水所として開けました。
そして、東北道が開通して、沢山の方が遠方から心配して物資を持ってきてくれたり、送ってきてくれたりしてくれた事に、改めてサーファーの絆を感じ、勇気をもらう事ができて凄く嬉しかった。
被害の大きかった人達にも渡す事が出来て、感謝の気持ちでいっぱいです。
本当に、本当に、ありがとうございました。
...続く
--------------------宮城県仙台市若林区
Japss surf shop
熊谷素子
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