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「A-frame 10th Anniversary①」

2009-11-27 更新
1999年11月13日は記念すべきスリランカ第一号のサーフショップ「A-frame」のドアが開いた日。
僕は同年の2月に初めてスリランカにサーフトリップに行き、ローカルの人たちの優しさや、スリランカの景色に感動して、その勢いで彼らとサーフショップを作ることになった。
本当はそんなつもりは毛頭なく、日本に帰って真面目に働くつもりだったのに...。

「A-frame」のショップ名の由来は、店の前でブレイクするリーフの三角ピークの波。
今はサーフィン用語として普通に使われるようになったけど、当時は日本人以外の人にも、「どういう意味か?」とよく聞かれた。

それから4シーズンは日本とスリランカを行ったり来たりして、波乗りと放浪に明け暮れた生活をしていた。35歳になった僕は、スリランカに遊びに来た日本人の女性と結婚することになった。その彼女ともスリランカでの生活と放浪を十二分に楽しんだ。

2003年、その年もサーフィンと放浪に明け暮れるはずだった僕だが、スリランカに到着して早々に大木に手を挟まれ、手の平の肉がほとんど飛び出してしまう事故にあった。
手術を3回繰り返したが、良くなる兆候が見えなかったので、帰国せざるをえなかった...。
日本でも入退院を繰り返し、3年間通院して指が二本動かなくなる後遺症付きでやっと治療が終わった。

治療している間に僕はスキーウェアのインポート会社に就職していた。新しい家族、怪我、仕事、そして将来の事も考え、しばらくは日本で頑張ってみようかなぁと思うようになった。
それでもスリランカのことを忘れる日は一日としてなかったのだが...。

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現在、僕の働いているお店は東京の自由が丘にあって通年を通してスキーウェアを売っているが、サーファーも結構遊びに来てくれる。
今年の夏くらいから周囲の人たちに『A-frame10周年イベント』をやりたい!という賛同を募ると大勢の仲間たちが参加してくれることになった。

総勢17名、こんな大人数で海外に出掛けるのは正直初めて。このコラムを読んでいる方には「サーフポイントにそんなに大人数で押しかけるなんて非常識!」と思われるのが当然だが、11月初旬のスリランカは乾季に入ったばかりだから、必ず貸切りポイントが見つかるのが分かっていた。

11月9日、11時に成田に集合した「A-frame」ツアー御一行には僕の2歳の子供と友人の3歳の子供も含まれていた。
その道中は、外見だけ大人で子供と同じテンションのサーファーたちが集まっているので、大騒ぎ。それも飛行機はモルジブ行きの熱々カップルだらけ...。
迷惑この上ない話、僕はなるべく他人の振りをしていた(笑)。
飛行機はモルジブを経由して13時間後、ようやくコロンボの空港に到着。空港では久しぶりに会うローカルたちが笑顔で僕らのことを迎えてくれた...。

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今回の「One Earth」はここまで。
次回の展開をお楽しみに!

冒頭でお伝えした内戦の終結について簡単に説明します。

スリランカでは国民の約70%を占めるシンハラ人に対し、少数民族のタミル人が70年代から分離独立運動を行ない、武装組織「LTTE」が内戦を始めました。一時は国土の約1/3を支配したものの、2008年から政府軍が威力を発揮し、2009年の5月19日に完全制圧を宣言。

まだ色々な問題が残されていますが、11月21日には政府が開設したキャンプに収容されていた避難民約13万人の解放も発表され、徐々に平和に近づいているのは確かと言えるでしょう。