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「2019年スリランカ20周年の旅②」

2020-01-17 更新
旅の達人、ハルさんこと福島晴之氏から「2019年スリランカ20周年の旅」2話目が到着!

前回のあらすじ。

初めてスリランカに訪れてから20周年となった2019年。
モルジブ経由、スリランカの旅を決行したハルさん。

1話目は当時を振り返るところからスタート。

30代になったばかりの頃、仲間4人と訪れたスリランカに魅了された。
そこでは波だけでなく、運命的な出会いが待っていた...。




マンボーとの出会い

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(スリランカ南西部のポイント)

ウェリガマから少し北に上がったミディガマレフトでサーフィンを満喫した僕達。
夕方にポイント目の前のレストランでまったりと風に吹かれて涼んでいると1台のワンボックスカーがそのレストランの敷地に入ってきた...。

車から降りてきたのは短髪で精悍な顔をしたスリランカ人の青年と少し真面目そうな顔をした日本人男性だった。

「Hello こんにちは!」

日本人も一緒にいたのでそう挨拶をした。
日本人男性に「サーフィンで来ているんですか?」と聞くと首都のコロンボで働いているそうで、スリランカで始めたサーフィンに夢中になっていて週末になると海に通っていると返ってきた。

そして、彼の横にいた青年を紹介された。

「彼はマンボーといってヒッカドゥワのローカルです」

ん?
そういえば日本を出る前にサーフトリップの専門社「サンライズホリデー」に勤める友人がマンボーというローカルには絶対に会った方がいいよと教えてくれていたのを思い出した。

その事をマンボーに伝え握手を交した。
1時間くらいかけてマンボーはスリランカのサーフィン事情について色々な事を教えてくれた。

マンボーは僕達がレンタカーを借りて行動していることにびっくりしていた。
確かにその後、僕はスリランカに3シーズンほど過ごしたが、レンタカーを借りてサーフィンしている旅行者はほとんど見たことがなかった。

なぜかって?
スリランカ人はハンドルを握ると人が変わったように飛ばす人が多いからだ。

狭い道幅なのに自転車をトゥクトゥク(三輪タクシー)が抜かし、それを更に乗用車が抜かすのだ。
そして構わず強烈に煽ってくる公共バス。やつらはアクセルを緩める事を知らない。
それだけではなく、国道でも犬は当たり前に道にいるし、場所によっては牛まで道路を歩いているのだ...。

当時はそういうことを全く気にせずの自由気ままなスタイルが好きだったので、どこに行ってもレンタカーで動いていた。そんな僕達をマンボーは珍しがっていた。




翌日、マンボーと一緒にサーフする約束をした。

マンボーの案内でミディガマエリアにあるプランテーションポイントに入った。
そこは複数のピークがあってレフトライトに乗れるポイントだった。
陸にはヤシの木が沢山植えてあり、このヤシをプランテーションと呼んだのがポイント名の由来のようだった。

その次の日、今度はマンボーに「Yala National Park」というサファリエリアを案内してもらった。
ジャングルを50年前に作られただろうレンジローバーに乗って探検。

生まれて初めて見る野生の王国に一同感動した...。

ジャングルから再びウェリガマに戻るとマンボーが別れ際にヒッカドゥワに来ないか?と誘ってくれた。
当時のウェリガマはサーフポイント以外に全く娯楽のない所だったので、みんなで1日くらいはパーティナイトを楽しもうということになった。

ヒッカドゥワへ

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(ヒッカドゥワの街)

ウェリガマから1時間半ほど北に走るとお土産屋さんやレストランが道沿いに立ち並ぶ街に到着した。

ここがヒッカドゥワだ。

すぐに待ち合わせをしていた「Blues Brothers」というレストランを見つけた。
そこはマンボーの家族が営むレストランだった。

ご飯をご馳走になり、目の前にあるポイントでサーフィンを楽しんで夜はトップシークレットというバーで酒を飲んだ。
そのバーには先日ミディガマで出会ったあの日本人の人もいた。

ミディガマで会った時はあまり話せなかったが、スリランカの生活にも興味があったので色々と聞いてみた。

彼は松永さんといって途上国の人のために働く外交の仕事をする人だった。
見た目は真面目そうな人だったが、凄い経験を沢山している人だった。
毎週のようにマンボー達とサーフィンをしているという。

当時は内戦の真っ只中だったスリランカ。
首都のコロンボでは毎週のように爆弾テロがあったのだ。ここは100kmほどしか離れていないが、彼にとってはそんな緊張感から抜け出せる楽園だったのだ。

余談だが、20年経った今でも僕と松永さんとの親交は続いている。
スリランカの任務が終わった後はヨルダンやイラクといった人道支援の必要な国々に滞在している。
彼は僕の生涯尊敬する友達のひとりだ。

そして、ヒッカドゥワの夜は遅くまで盛り上がった...。

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(ヒッカドゥワの夜)

翌日は最終日だった。

またウェリガマの近くでサーフィンを済ませると僕らはコロンボに向けて出発した。

空港に行く途中でヒッカドゥワのマンボーにお礼を言うために立ち寄った。しゃがれた声のマンボーは笑顔で出迎えてくれた。

忘れられないほど素晴らしい旅をプロデュースしてくれた彼と仲間達に感謝を伝え、乗っていたサーフボードをプレゼントした。
僕は必ずまたスリランカに来ようと決意した。

続く。

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