「2019年スリランカ20周年の旅⑧」
2020-02-29 更新
前回の「2019年スリランカ20周年の旅」では、スリランカの恋愛事情をハルさんが自身の体験談を元に語っていましたが、今回はサーフショップオープン後のオフシーズンの過ごし方をお届けします!サーフショップがあるヒッカドゥワは北東の季節風が吹く10月〜3月がオンシーズン。
4月〜9月はオフシーズンとなり、東側のアルガンベイがメインになりますが、当時は内戦中だったため、気軽に移動出来る状況ではなかったそうです。
まだパソコンが普及していなく、スマホはもちろんない時代。
雑誌や人づての情報などしかないこの時代のサーフトリップは今より何倍も刺激的でした。
11月からおよそ5か月間続いた南西部ヒッカドゥワのオンシーズン(乾季)も3月末になると変化が出始め、段々と雨が多くなり、モンスーン期(雨季)に近づく。
僕らのサーフショップがあるヒッカドゥワでは湿ったサイドからの風となる。
その風は朝も夕方も止まず海面も荒れっぱなしになる...。
4月10日を過ぎるとスリランカは旧正月。
真の仏教徒が7割を占めるスリランカでは、年末年始の正月よりこちらがメインだ。
旧正月ではミルクライスというココナッツミルクで炊いたお米を食べることから始まるのだが、食べ始めるのにも時間が決まっていたり、家の主人が家族一人一人に食べさせたりという仕来りがある。
他にも家族以外に家のご飯を食べさせてはいけないとか細かいルールが沢山あるみたいだった。
スリランカでは旧正月と言えばギャンブル。
男連中はカードを使ったギャンブルに明け暮れるというのが習わしのようで、シーズン中に稼いだお金を全部すってしまうという話も耳にした...。
旧正月が終わり、ヒッカドゥワがいよいよオフシーズンになるとコアな海外サーファー達は内戦中のために立入り制限がある東海岸のアルガンベイへと移動して行くのだった。
ヒッカドゥワのシーズンが終わった時に僕とマンボー、彼の弟のババイヤ、名物ガイドのチャミンダ、チャミー、日本からの西井浩治さんが率いるLuvSurfチームと合同でモルジブのボートトリップに出かけた。
モルジブはスリランカから僅か500㎞ほどしか離れていないので安く渡航出来るし、スリランカ人にとってビザがいらない唯一の国なのだ。
マンボー以外のローカル達は生まれて初めての海外旅行だった。
パーフェクトな波にボートでの極上生活、みんなで笑顔の絶えない最高な時間を過ごした...。
モルジブへの旅を終え、再びスリランカに戻るとヒッカドゥワのほとんどの店やホテルはオフシーズンのため休業していた。
週に何度かサーフィンが出来るコンディションになるとそのタイミングで貸切状態の海に入るが、それ以外にやることがなかった。
5月の初旬、僕はサーフボードとバックパックに荷物をまとめるとオープンで買っておいたエアチケットを使い、タイのバンコクへ向かった。
すぐに日本に帰国する必要もなかったので、バンコクでバリ経由、成田行きの安いチケットを購入した。
バリではクタにあるポピーズズレーンで一泊2ドルという激安の宿に泊まり、数日間サーフィンしていたが、バリで出会ったサーファーに最高だと聞いて選んだのがスンバワという島に行ってみることにした。
思い立ったらすぐ行動だ。
僕はクタの旅行社で往復20,000円ほどでチケットを買ってスンバワ島に渡った。
空港の待合室でギターにサンライズホリデーのステッカーを張った日本人がいたので声を掛けてみた。
彼は僕よりも10歳上の加藤さんという方ですぐに仲良くなった。
彼は毎年スンバワに通っているらしく、島やポイントについて色々と教えてくれた。
そして、加藤さんの手引きでスンバワのビマ空港から白タクに揺られて3時間ほどでレイキーに辿り着くこともできたのだった。
その頃の自分はガイドブックも見ずに外国人、日本人かまわず声を掛けてどうにかなるスタイルで行動していた。
それでも運良くいつも無事に目的地に着いてしまうのだった...。
10日間ほど滞在したスンバワはレイキーピーク、ペリスコープを始め、極上のサーフポイントがいくつもあって最高の環境だった。
波は大き過ぎず、気持ちの良いファンウェイブ。
加藤さん以外にもスンバワにはひとり旅で来ている日本人のサーファーが5、6人いた。
彼らとは一緒にサーフィンして夜は加藤さんの弾くギターを聞いて宴を楽しんだのだった。
一か月ほど旅を続けた後、少し暖かくなってきただろう日本にも帰りたくなり、バリを経由して僕は日本へと向かった。
今も十分に楽しんでいるが、良い波に乗って自由気ままに旅をしていたこの頃は僕の人生の最高期だったと思う...。
続く。
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