「アンディ・アイアンズの死から15年が経った」 - F+コラム
2025-11-04 更新
Text by つのだゆき、Photo by Steve Sherman, snowy
先の日曜日、11月2日はアンディ・アイアンズ(フィリップ・アンドリュー・アイアンズ)の命日で、2010年のことだから、もう15年も前になる。そうかぁ、そんなに前かぁ、という感じだ。その年の12月8日に生まれている息子のアンディ・アクセル・アイアンズも15歳になるわけだ。
なんか長いツアー歴の中で、あれほどショッキングなニュースってなかったかなぁ、と思う。ツアー中の現役選手が旅の途中で死亡するって、後にも先にもあれだけかな、と。
カメラマンのトゥイギーや、セキュリティのトップだったウディ(デビッド・ウッド)など、ツアー中に亡くなった関係者や、ツアーを離れた元選手が亡くなったことはあったけど、現役CT選手がツアー中に、というのは無いと思う。
しかもそれがアンディ・アイアンズという強烈なキャラクターを持った選手で、帝王ケリーを破って3度のワールドタイトルを勝ち取った天才的なコンペティターだったからなおさらだ。

2010年11月2日はプエルトリコのリップカールサーチイベントの最中で、その試合に出場予定だったアンディは出場せずに不戦敗、ハワイに帰る途中のダラス空港近くのホテルでなくなった。
試合は2日間キャンセルされ、会場ではアンディの死を悼んでパドルアウトセレモニーとかも行われたが、その後再開。10点満点と8.77というハイスコアでケリー・スレーターがビード・ダービッジを破って優勝し、10度目のワールドタイトルを決めた。
試合中のことなのでけっこうざわついたろうし、アンディと仲の良かった選手たちは試合どころじゃなかっただろう。アンディに近かった選手たちからは、試合を継続するなんてありえないとか、フェアじゃないという声も上がっていた。
だからその後、ツアー中に選手がなくなったり大きなけがを負った場合は、WSLオフィスは大会に残っている全ての選手と話し合い、大会を継続するか中止するかを決定する。もしも選手がヒート中に死亡した場合、その大会はキャンセルされる、という一項がルールブックに加えられた。
翌2011年の11月2日の命日はサンフランシスコのリップカールサーチイベントの最中。その試合でまたもや、今度は11度目のワールドタイトルを決めたケリー。ただしそれが計算違いで取り消しになるという、前代未聞の出来事が起こった。結局ケリーは最終戦で11度目のタイトルを決めるが、なんかこの辺、妙に因縁めいているというか、う~ん、なんか変な感じする~。みたいな。

アンディは前年ツアーから離れていて、ドラッグ中毒のリハビリ中という話だった。その後2010年にはワイルドカードをもらってツアーに復帰し、9月のタヒチで優勝している。しかしその後は成績が振るわず、キャリア最終ランクは18位。悪くはないけどアンディとしては受け入れられない結果でもあったとは思う。優勝以外は敗北と考えるタイプの選手だ。もしあのまま生きていて、アクセルの誕生を家族と共に迎えることができれば、試合で勝つということとは別の道も見いだせたのかもしれないとは思う。
結果的にアンディは死後レジェンドとなり、その短い32年間の生涯に関しての赤裸々なドキュメンタリーフィルムも制作され、様々な人の心に様々な形での影響を及ぼすことになった。
でも私はなんか、アンディはあちらで、もう勝たなくていいんだ、ってホッとしているような気がする。そのぐらい勝つことに執着したキャリアだった。その執着は死をもって途切れた。
アンディ同様にケリーも勝つことへの執着が強い選手だが、こちらは年齢を重ねるごとに徐々に負けを受け入れていくような、それを糧にしていくような感じだと思う。
よく並べて語られることの多いふたりだが、正反対といえば正反対だし、そっくりといえばそっくりかな、とも思う。
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