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バリ

2004-07-05 更新
One Earth Vol.6
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今回はバリリポート。

いままでバリへは2回しか行ったことがない。しかも初めていったのはいまから5年前。それまでバリはなんとなく遠ざけていた。バリに行った友達の話を聞くと人ごみと物売りのしつこさに参ったという話ばかり。僕には合わないイメージがあった。しかし、全員が波のクオリティはスバラシイという。一度は行かないと、と思い期間を決めないで行くことにしたのが99年のこと。
ブルネイ航空というマイナーな航空会社を利用したため機内には日本人の姿は無かった。僕の隣に居合わせたのはロジャーというスイス人ボディボーダー、お互い一人旅ということもあって部屋をシェアしようということになった。この時期のバリは雨季から乾季に変わる時期で安宿の集まるポピーズレーンは水浸し、僕らの泊まったゲストハウスの庭にはどこかの池から逃げ出した金魚が泳いでいるほどだった。翌朝さっそく近くのクタのビーチブレイクをチェックしにいくが洪水になった街の排水が海に流れ込んで凄い色をしているのでパス。一度ゲストハウスに戻って朝飯を食べていると隣の席の日本人3人組の男の子たちが「レンタカーを借りたので一緒に行こう」と誘ってくれた。

最初に連れて行ってもらったのはお馴染みのチャングーレフト。ここもあまり水は綺麗でなかったがブレイクはまぁまぁよく楽しめた。3人組はバリに何度も来ているようでレストランにも連れて行ってくれた。不衛生なレストランでカエルなんかを食べていたので案の定、下痢をした。一時期コレラが流行ったときがあったので心配になってそれを3人に言ったが「あーそれはバリっぱらですよ」と当たり前のように返されてしまった。バリにいるあいだはずっとこの《バリっぱら》に悩まされた。

さて話を波乗りに戻そう。翌日はサヌールシークレットと呼ばれるビーチブレイク、混雑がないかわりに車上荒らしが頻繁で、同行してくれた男の子たちは2回も物取りにあっていた。パスポート、エアチケット、カメラ、すべて無くしてしまったらしい。くれぐれもバリでは貴重品の管理には気をつけよう。波のほうはというと、所々にバンク(=サンドバー)ができていて頭くらいの良い波が割れていた。地形の良いときの千葉の波のよう。ロコキッズも友好的でなかなか楽しい雰囲気で波乗りできた。

次の日に向かったのはスランガンというライトのポイント、ゴミの集積所のなかを10分ほど走り続けてそのポイントに着く。この当時はまだ新しいポイントということであまり混雑していなかった。ブレイクは3箇所に別れていて沈没船のある右側はトリプルくらいで一番サイズがある。リザール・タンジュンたちが凄いセッションしていた。ぼくらが入った真ん中のブレイクは頭半~ダブル、これぞマシーンブレイクといわんばかりの良い波だった。十分スリリングだったが覚悟を決めてストールしてチューブにはいることもできた。その次の日もこのポイントで同じようにサーフした。余談だが数年後にこのポイントに行ったら日曜日の湘南かと思うほど人が多かった。

1週間ほどバリ島にステイしたが物売りや喧騒につかれたのでロジャーとロンボクにでも行こうということになった・・・。

(次回はロンボクでの出来事をお届けします!)