非会員上部PR枠用
 

ニアス(2)

2004-08-16 更新
One Earth Vol.9
---------------
今回は前回のニアスのお話の続編。その前に、プレゼントへご応募下さった皆さん、ありがとうございました。メールを読ませていただいた上で、当選者3名の方に”A-Frame”オリジナル新作Tシャツを発送させていただきました。これからもご愛読ヨロシク!
---------------
ロンボク→バリ→ジャカルタ→メダン→ニアス、と想像以上の長旅の末にたどり着いたニアスだが、シーズンオフ(4月)のニアスは波が小さく、数日間この小さいサイズでサーフすることとなった。ここからボートで5時間ほどかけてヒナコ諸島にまで行けば、確実にニアスよりは大きい波に乗れるらしかったが、長旅に疲れてしまって、帰る日までもう移動する気にはなれなかった。
友情を深めたスティーブ達はニアス本来のアウトのブレイクを味わわぬまま、1週間後にバージンアイランドへと帰国。ところが彼が帰った翌日、ついにアウトで波がブレイクし始めたのである! アウトへはキーホールという水路を使ってラインナップできるので楽チンである。この日の波はオーバー・ヘッド、ポジションがあっていればテイクオフしていきなりリップが前に飛ぶチューブだ。水量が多くリップも遠くに飛ぶので思った以上に迫力がある。チューブには結構簡単に入れるが、巻かれるとかなり辛い思いをする。やはりクラシックポイントと呼ばれるだけのことある。この日から3日間だけアウトでのブレイクが続いた。
ニアスのメイン・シーズンは6月からということもあって、この時期はサイズこそ望めないが海は空いている。僕が滞在している間もツーリストはマックスで15人ほどであった。そしてそのほとんどの人たちと友達になれた。そのなかの何人かは僕が冬場滞在しているスリランカにも遊びにきてくれた。サーフトリップはこんな感じで人と出会うから楽しい! 仲良くなれたのはツーリストだけではなかった。泊まっていた宿の息子ウディンは、僕をバイクの後ろに乗せていろいろなところに案内してくれた。あるとき彼の彼女に会いに行こうということになり、彼女の通う学校へ行った。彼が彼女とイチャイチャしているので、仕方なくひとりで学校のまわりをぶらついていると、先生らしき人に呼び止められ教室に招待された。そこには20人ほどの生徒がいた。先生はツーリズムの教室なので是非旅行者のあなたに講義をして欲しいという。こんな経験は滅多にできることじゃないと思い、僕も頭に浮かぶことをしゃべりまくった。みんな一生懸命聞いてくれた。学生時代は成績最下位のオオバカだった僕が、まさか教壇に立って人に講釈をするなんて・・・。本当に人生はわからないものである。

話をサーフィンに戻そう。僕らがいたニアスのラグンダリー・ベイには、メインポイントとそのインサイドのインジケーター、さらには湾の中にレフトが割れるポイントがある。僕の滞在中はメインポイントでしかサーフできなかった。インジケーターはチャレンジングなポイントでプルアウトする場所を覚えておかないと浅瀬にうちあげられるらしい。見た目にもかなりヤバそうだ。また湾のなかにあるレフトは、よほどサイズが上がらない限りは出来なさそうだった。
2週間滞在したが、結局メインのアウトがブレイクしたのが3日間、あとはインサイドの小波でのサーフだった。波は外したのかもしれないけど、いろんな意味で僕的には充実した旅となった。

僕にそんな思い出をくれたニアスも、80年代に比べると随分と発展を続けているようだ。個人的にはあまり変わって欲しくないけど、やはり今後はもっと発展していくのであろう。ニアス滞在中のある朝、波チェックをしていると10台くらいの高級車が停まり、中から人がたくさん降りてきた。そしてカメラマンをしたがえたおじさんが僕に話し掛け、インタビューを始めた。スマトラ島の州知事と地元テレビ局だった。サーファーが増えたおかげでバリが発展したということを、きっと彼らも知っていたのであろう。僕はインタビューにこう答えた。「経済の発展を望むのは僕たちが非難すべきことではないが、願わくはいつまでもこの自然がそのままであって欲しい」と。