サーファーと環境問題
2004-09-22 更新
One Earth Vol.13---------------
今回は、ちょっと趣向を変えて、旅先で考えたことについて書いてみよう。
僕は旅に出ると、旅先でぼんやりと考え事をする。よく考えるテーマのひとつに「環境問題」というものがある。
現代世界の主流となっている経済体制は「資本主義経済」、「市場経済」と呼ばれ、西欧諸国の近代文明の産物と言える。難しい言葉を使うと「物質至上主義」とも言われるものだ。このままの体制で社会が突き進むと、やがては全ての資源を使い果たし、いつしか人類が住むことの出来る環境さえも無くなってしまうということが予想される。それが、僕たちが生きている時代なのか、僕らの子孫の時代になるのかは解らないが、途上国の発展の仕方をみても、ものすごい勢いでそれが加速しているように思う。
こうした現代の矛盾を解決してくれる思想に、「仏教的経済学」なるものがあるのだそうだ。簡単に言うと《少ない消費でどれだけ豊かな心を得られるか》という考え方らしい。そう、僕たちが一生懸命やっているサーフィンというものが、これにピッタリ当てはまるのではないだろうか?いまさら説明することもないが、いくらお金を積んで良い道具を揃えても、長い経験や練習を積まなければ、サーフィンというものは決して上手くならない。だからこそ、努力して上手く滑れたときの感動や心の満足度は計り知れないのだ。
最近の世の中を見ると、人より良い学校で学ばせ、人より良い成績を目指し、お金持ちになって豊富な物に囲まれる生活こそが良い生活と思われがちだが、果たしてそうなのだろうか?人を思いやることよりも、そんなことばかりを重要視した教育が、今の日本で毎日の様に起こっている悲惨な事件にもつながっているのではないだろうか。
昔、ルパン三世で石川五右衛門が言っていた。「形あるものはいつか崩れる。」その通りである。たくさんの消費から少ない消費への移行こそが美徳、という観念が根付けば、事態も少しは改善されるだろう。お金を出して買う物は、いつかゴミになってしまうのだ。ゴミにもいろいろあるけど、石油精製品のゴミはたちが悪い。タバコのフィルターひとつとっても、自然の力で分解するのには百年以上の月日が必要だとされている。
ある日インドネシアの島でサーフチェックしていると、若いインドネシア人のグループがビーチで宴会を始めた。すっかり気分が良くなったのか、みんな笑顔いっぱいでご機嫌だ。数時間後、彼らはゴミを集めるでもなく、ニコニコ顔でその場を立ち去った。
また別の日に、彼らの住む高床式住居が目に入った。しばらく眺めていると、住人が上から残飯を下の地面にポイと捨てる。すると、放し飼いになっている鶏が、待ってましたとばかりに残飯に群がった。そう、彼らはこの"食物連鎖"を何世代にも渡って受け継いできたのだ。
地面に残飯を捨てる、という彼らのモラルを単純に否定するのは間違っているような気さえした。
こうした国々に向けて石油精製品を送り込むのであれば、それをどう処理しなければならないかまでを教えるのが先進国の責任ではないだろうか。
買い物に行けば、意味のない過剰に包装されたものが平然と売られている。包装は空けられた瞬間にゴミ箱に直行だ。そう解ってはいても、この包装を作って生活している人たちもいるのだから、すぐには変えることが出来ない。しかし、少しずつでも前に進んで、このような状況を変えて行かなければ、いつまでたっても変わらない。環境の変化は待ってはくれないのだ。これからも地球環境はもっともっと苛酷になっていくと予想される。
こう考えている僕も、飛行機や車に乗って旅行には行くし、仕事だってサーフショップだから、決して偉そうなことを言える立場にはないが、僕を含めてみんなが少しでも環境問題を意識することが大切なのではないだろうか?
僕らの子供や、これからの世代の人たちにも、豊かな自然が残りますように!