スリランカ津波災害義援金の紹介
2005-01-14 更新
One Earth Vol.16---------------
2004年12月26日に発生したスマトラ沖地震による津波で、スリランカでは多数の犠牲者が出た。津波発生時には300人と伝えられた犠牲者の数は、その後もどんどん増えつづけ、最近見たニュースではすでに15万人を越したという。
スリランカにはシンハラ人、タミル人そしてイスラム系の人々と人種が多く混じっている。とくに多くの犠牲者が出た東海岸については、政府も実際の被害者数をはっきりと把握できていないらしい。
TVのニュース映像等で被災地の悲惨な情況は、既に御存知の通りかと思いますが、スリランカにも縁の深いこのコラムで、僕の身近な情報を極簡単に挙げさせて頂きます。
---------------
《僕のスリランカでのパートナー、マンボーの証言》
ヒッカドゥワにある僕らのサーフショップ「A-frame」の周辺は奇跡的に被害が少なかった。とはいえ、ショップの商品や彼の経営するゲストハウスの家具やドアなどが被害にあった。
一方、津波の数日後に東海岸の店舗(「A-frame」)に行ったところ、彼は言葉を失ったという。ゲストハウス、ショップそして庭はすべて津波で破壊され、流されて無くなってしまっており、そこには水をためておくタンクだけが残っていたとのこと。
---------------
《友人のサーファー、トモの証言》
津波の時、彼はちょうどヒッカドゥワのメイン・ポイントで波待ちをしていたという。しばらくセットが入って来なくなり、不思議に思っていると、突然乗れないほどの大きなウネリが入って来て、その波はビーチを通り過ぎて岸壁を乗り越え、陸地へ押し寄せて行ったとのこと。その波が津波だと気付いたときには既に500mほども流されてしまっていたそうだ。一緒にいたサーファーはみな無事だったとのことだが、考えただけでもゾッとする話だ。(このときの詳しい状況については、先日ようやく帰国した本人に再取材して、近日中にアップする予定。)
---------------
《旅行者Mさんの証言》
災害後のスリランカ南西部の調査に出かけたMさん。ヒッカドゥワから5kmくらい北に上がった町はほぼ壊滅状態。椰子の林の中に乗用車が何台も入り込んでいたり、海沿いを走る電車の線路はめくれ上がり、家々は瓦礫と化していた。ヒッカドゥワの南にあるゴールやマータラを始め、海岸部にある町はどこも悲惨な状況だったとのこと。
---------------
このように大被害にあったスリランカを含め被災した各地域へ、今、世界中からの義援金が寄せられています。
僕も色々と御世話になったスリランカの人達の役に少しでも立ちたくて、昨年の暮れに、日本スリランカ協会とスリランカ政府観光局を尋ね、義援金用の口座を開設していただきました。僕たちサーファーの呼びかけでスリランカの復興に役立ててもらえる募金です。
下記に口座を紹介させていただきますので、スリランカに馴染のある方も無い方も、善意のご協力を是非よろしく御願いいたします。(もちろん無理のない範囲で構いません。)
郵便振替口座
00130-4-778015
口座名:スリランカ津波被害救援金あて
(この義援金はNGOの手によって全額がスリランカの被災者救援に当てられることとなっています)
※当初お伝えしました義援金の口座番号に一部誤りがありました。上記に訂正させていただくと共に、深くお詫び申し上げます。