【現地コラム】宮城県・閖上①
2011-04-12 更新
東北地方を中心に、各地に大きな爪あとを残した「東日本大震災」。現在も避難生活と懸命な復興活動が続いていますが、定期的なコラムとして、各地の現状などをお届けします。
宮城県・閖上
第1回:震災当日
尋常じゃない強さの揺れが、どのくらいの間続いただろうか。
それはとてもとても長い時間に感じられた。
基本的に私自身、バランス感覚は悪くない部類の人間だと思っていたし、勿論サーファーですから…
たいていのアクティビティもこなせる、運動が苦手ではない側の人間だと思っておりました。
が、さすがに今回の揺れには、何処かに掴まっていないと立ち続けるコトすら難しい状況でした。
先ず私に向って降り落ちて来たのは、過去の栄光である地元のローカルコンテストのトロフィー。
コレが危ないのなんのって。だいぶ尖がってますから。。。
降り掛かるトロフィーを払い除け、ドアを開いて出口を確保。
その時点で揺れはまだ収まっておらず、何故か自分にだけ向かって倒れて来るサーフボードや観葉植物を両手で抑えて外の様子を伺った。
慌てて外へ飛び出す人もいたが、まだ事の重大さを理解できていない人たちの間には、笑い声さえあった。
何からどう対処したらよいのかも分からないまま、既に停電して薄暗い店の中で家族のコトが心配になり、とにかく電話をかけてみた。タイミングよく呼び出し音はするものの、あちらはアチラで子供達を守るのに必死だった様子。
後に聞いた話ではスーパーで買い物中だったそうで、屋根が落ちかかっていて電話に出る余裕なんて無かったらしい。正直、この時点で実際に津波がやって来るなんて事はまだ考えてもいなかったが、子供達は?という思いと、連絡を取れなかった事が功を奏したのだろう。
改めて外を見回してみると、大きな揺れで歪んだ道路に出来た亀裂からは水が湧き出し異様な雰囲気になってしまっていた。すぐに車に乗り、自宅へ向って走り始めた。
予測された津波の高さは10m、いや、それ以上になる可能性も…と。
まったく想像のつかない事態に、ただただ余震の続く渋滞の国道を家族の元へと走り続けるしか出来なかった。
その頃、自分の居た海辺の町が、大好きな海に飲み込まれているなんて想像もしないまま…。
...続く
--------------------宮城県名取市閖上
WAVE MAKER
高橋雄治
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