【現地コラム】岩手県・浪板②
2011-04-22 更新
東北地方を中心に、各地に大きな爪あとを残した「東日本大震災」。現在も避難生活と懸命な復興活動が続いていますが、定期的なコラムとして、各地の現状などをお届けします。
岩手県・浪板
第2回 釜石へ
それ以上車では進めそうにないので、釜石まで歩くことにしました。
道路にはものすごい量のガレキと、まだくすぶっている煙、そして泥の中をひたすら歩いた。
まだ津波警報が出ていたので、低い道を歩く時は海の方を見ながら急ぎ足。
ここ三陸海岸の道は、上り、下り、トンネルが連発する道が多く、釜石にある自宅までの道のりは15㎞。
と言ってもかなり気が遠くなる距離に感じた。
でも、歩くしかなかった・・・。
特にトンネルは停電で真っ暗。
出口が見えず、とても不気味な感じだった。
トンネルをやっと抜けると、1つ目の町が消えていた。
昨日まであった町が、一瞬にして無くなっていた。
本当に夢を見ているようだった。
夢なら早く覚めてほしかった・・・。
でも、これが現実だった。
歩きながら、いろいろな事を考えていた。
本当に家族は無事なのか?
仲間は無事なのか?
この悲惨な状況を見ると悪い方にしか考えられなかった。
とにかく早く家に戻って無事を確かめたかった。
しばらくの間、とぼとぼ歩いてトンネルを抜けると、そこは年に数回良い波が立つポイント。
そこは大きな河口で、ファンなレフトの波が立つ。
普通だと目の前に6m位の堤防があるはずだが、ほとんどが津波でやられ、道路から海が見えるようになっていた。
それを見て、思いました・・・。
人間は今まで自然をコントロールしているかのように見えた。
例えばテトラ、堤防、砂防ダム等を作って自然に対抗してきたように思うが、やはり無理なんだ。
自然には勝てない。
そういう事を、まざまざ目の前で見せ付けられた感じだった。
本当に凄まじい光景だった。
運良く1週間前に新しいバイパスの道路が出来ていたので、その道をまた歩いていく事にした。
途中で近所の知り合いの消防士に会い、「家は大丈夫!水は来てない!」と教えてもらい、ホッと胸をなでおろした。
本当に良かった。
更にバイパス道路を歩いて行くと、車が10台ほど夜から車中泊していたようだった。
釜石方面からも何台か車が走ってきていたので、引き返す車をヒッチハイクしてみようと思った。
2つ目のトンネルを越えた所で車が来たので、思いっきり手を振ったら車が止まってくれ、丁度釜石まで行くというのでその車に乗せてもらった。
バイパスから釜石への国道は瓦礫の山で通行止めのため、旧国道を通り山をひと越え。
その人も大槌の親戚を探しに行く所だったが、行き止まりで戻って来たところだった。
昔の大渡小学校(今の釜石小学校)の所で降ろしてもらい、そこからまた釜石市内の瓦礫を歩いてやっと家族のもとへ辿り着いた。
車に乗せてくれた方、本当にありがとうございました。
感謝しています。
...続く
--------------------岩手県上閉伊郡大槌町
K-SURF
杉本浩
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