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【現地コラム】宮城県・本吉②

2011-05-21 更新
東北地方を中心に、各地に大きな爪あとを残した「東日本大震災」。
現在も避難生活と懸命な復興活動が続いていますが、現地コラムとして各地の現状などを定期的にお届けします。


宮城県・本吉
第2回 小泉中学校避難所の日々

motoyoshi20110520a
震災の翌日から始まった、次男が通う中学校体育館での避難生活。
560名が、寝食をともにし隣りあわせですごす毎日。
電気、水、ライフラインが止まった生活。
一番こたえたのは、情報が得られないのと、情報を発信できないもどかしさ。

すぐに避難所には、周囲の方々から食料がたくさん届けられ、献立に困るほどでした。
おにぎりは近くの山小屋で、薪で炊いた釜のご飯。
ろうそくの光の中、熱々のご飯を次々とラップでくるみ、560個のおにぎりをつくる。
それが1日に2回。

まだ雪も降る時期で、寒い中での炊事は大変でした。
男衆は朝、夜明け前から、瓦礫を薪にしてお湯沸かし。
それぞれが役割分担し、協力し合いました。

やはり、はじめのうちはバラバラだった意見も、本部組織が3日後にできてからは、ますます統一感が出ました。
motoyoshi20110520b

長男は青年団部長補佐?の役目を一生懸命こなし、次男は掃除当番。

目の前のことに精一杯の毎日でした。

そんな中、気がかりだった母の安否確認。
一人暮らしで70歳を超える母は、生きながらえたのかどうか・・・。

意を決して、気仙沼市内の避難所と遺体安置所を迂回しながら回ることに。
3つ目に訪れた避難所は気仙沼中学校。
3年生の教室で母と対面したときは、お互い夢のようでした。
号泣しながら抱き合い、無事を喜びました。

気仙沼公民館屋上に2日間閉じこもり、津波や火事を目の当たりにしたとか。
2日間ビスケット2枚ですごし、自衛隊のヘリにつられ中学校へ搬送。
実は、自分はテレビでその様子は見ていたのですが、まさかその中に母がいたとは・・・
驚きでした。  
自衛隊の方々にはあらためて感謝の気持ちでいっぱいです。

小泉中学校避難所では、さすがに余震も多い中、夜はなかなか寝付けませんでしたが、規律正しくみんなで頑張ろうという雰囲気でした。

次第にサーファー仲間達が避難所を探して来てくれるようになり、みんなで自分達の安否確認をネットでしてくれたと聞きました。
ガソリンも少なく、世の中の物資も少ない中。
岩手や秋田から次々と訪れてきてくれて、ありがたかったです。

自分ひとりでは何もできないけれど。
秋田のサーファーが、電波の届く場所に連れて行ってくれて、ノートパソコンを出して
「ブログアップしてみんなに無事を知らせて」

まだ、ブログを更新する気持ちではなかったのですが・・・。

「復活! します!!! 必ず。」

自分に言い聞かせたのかも知れませんが。
必ずみんなで、また海で笑いあいながら波乗りできるよう。
その日から、暗中模索が始まりました。


...続く
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宮城県気仙沼市本吉町
かぶとむしsurfshop
鈴木優美

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