【現地コラム】宮城県・仙台⑤
2011-06-21 更新
東北地方を中心に、各地に大きな爪あとを残した「東日本大震災」。現在も避難生活と懸命な復興活動が続いていますが、現地コラムとして各地の現状などを定期的にお届けします。
宮城県・仙台
第5回 今、自分にできる事
震災から約2週間ほどが経過した頃。
まだまだスタンドに並ばないと給油できない状態の貴重なガソリン。
いろいろな方から送られたり、届けられたりした救援物資をどうやって配ろうか?
私は一番安い自転車を買いました。
そして、入れられるだけの食料品・カセットコンロのガスや薬を、カゴやリュックに背負って、北は塩釜、南は仙台南まで・・・。
今日まで自宅→新港→店までの道路しか見てこなかったけど・・・
海沿いから、かなり内側まで入った町も、津波の被害があったところが多くて、かなりショックでした。
地震で倒壊した家や会社、川の中に半分沈んだ家や、今だ信号の付かない交差点。
ところどころ泥道にぬかりながら、自転車で走りました。
あっちこっちでユンボが瓦礫を撤去。そして自衛隊や警察の方、消防の方が懸命に捜索活動をしています。本当に頭が下がる思いです。
そんな中、泥の入ったお家の畳をセッセと外に運ぶ人達を発見しました。1枚の畳を6人で運んでいます。
学校の登校日がなかなか決まらない息子が、1週間前から学校のお友達と自転車で1時間、2つ隣りの塩釜市まで、泥出し・家具出しのボランティアに行ってた事を思い出しました。
まだガスが通らずお風呂に入れない中、この日も汗ビッショリで帰ってきて「風呂入りて~」と叫んでる彼を見て、私にできるのかな~?と不安に思ったけど・・・
その2日後の夕方、ガス局の人が来てガス管を点検し、やっと震災から3週間後にガスが通りました。
これでやっとお風呂に入れます!!
自分のお店のある若林区が、津波で57%浸水した事が気になっていた私は、早速、若林区の災害ボランティアセンターに登録。
老人ホームの泥出しや個人宅の泥・家具出し・避難所のお手伝いなど・・・。物資運びと並行して毎日動き廻りました。
津波が来た家の泥出し・家具出しの仕事は、ハードな内容ながらも少しずつ片付いていくので、作業してて達成感の様なものを感じたけど、
避難所の仕事は、住居がなくなった人、職場がなくなった人、ご家族が亡くなった人、全てを失った人、いろんな人がいて正直、対応に戸惑いました。
行方不明者を探しに来る人、探してる人が名簿に載ってなくて、肩を落として帰っていくご家族。
お手伝いをしている中、いろいろな話を聞くだびに、この震災の惨さを痛感ました。
こんな状態で、もうサーフィンする日は来ないだろう・・・。
目の当たりにした現実に、気持が沈んできました。
でも今は、ここにいる人達に少しでも元気なってもらいたい、希望を持ってもらいたい!余計な事は考えず、前だけ見て、一生懸命お手伝いしました。
最初は挨拶もしてくれなかった人も通ってるうちに、だんだん笑顔で話しかけてくれるようになり、名前も覚えてくれて一緒に遊具で遊んだり、ボランティアで来たマジックショーに一緒に参加したりと、少しずつ受け入れてもらって偏見や温度差みたいなものをだんだん感じなくなりました。
みんな少しずつ元気になっている!
いつのまにか日々のボランティア活動が、自分の希望の光になっていたような気がします。
お手伝いに来て本当に良かった!
そして、明日も頑張ろう~!と早めに就寝した4月7日の夜中、突然凄い揺れが来ました。
最大余震の震度6強。
時間は3月11日より多少短かったものの、かなり大きく揺れ、家の中はグチャグチャ。リビングへ行くと前回以上に色々な物が散乱していて愕然としました。
少しずつ復興してきたのに・・・。 なんで、また・・・。
割れた食器を片付けながら、呆然としました。
そして、お店はもっと酷い状態になってるだろう・・・。
と想像しただけで悲しくなり、不安な一夜を過ごしました。
...続く
--------------------宮城県仙台市若林区
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熊谷素子
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