「チマジャトリップ2012年春①」
2012-05-03 更新
11月の初旬、自分の働いているスキーショップで足を骨折した。あの時は店に常連のお客様親子が遊びに来ていて、ゆっくりと買い物が出来るようにと僕は子供と遊んでいた。
最初は恥ずかしがっていた子供も段々と店と僕に慣れ、他のお客様もいなかったので、最終的に「鬼ごっこ」にまで遊びが発展。
店の階段を走りながら追いかけていると、ドジな僕は階段を踏み外して足の甲から地面に着地...。
「ボキっ!」と頭に響く衝撃と同時に激痛が走った。
翌日、病院でレントゲンを撮ってみると、「こりゃ、下駄骨折だよ」と医師から告げられた...。
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まだサーフシーズンの真っ只中の事故だったが、素直に現実を受け入れ、休みの日は家族と一緒に過ごす事にした。
子供達にも妻にも喜んでもらえた。怪我をして2か月経っても、僕の場合は立ち仕事の為か治りが非常に遅い...。
病院からは、「3か月以上かかるね。でも、スキーブーツはギブスみたいなものだからスキーはやっていいよ」と言われ、1月からは子供達を連れてスキーをした。
そのおかげで4歳になる子供もスキーがある程度出来るようになった。
日本は四季があって、波乗りが出来なくてもスキーやスノーサーフという楽しみがあって良い。
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今年は家族にとって一つのチャレンジがあった。
子供達が小学校に上がる前、旅行ではなく、海外で何かを体験をさせようと妻と話合った。その結果、僕は仕事があるので日本に残り、妻と子供達だけでスリランカに45日間行くことになった。
2月の初旬、僕は黙ってハンドルを握り、家族を乗せて成田空港へ向かっていた。
「彼女らは大丈夫だろうか?」
妻も僕と以外はあまり海外に行ったことがない。
しかも、今回は4歳と11か月の二人の子を連れてだ...。
でも、これを乗り越えれば、妻にも子供達にも貴重な経験になるに違いないと思った。
僕は普段は妻が無駄な買い物をしてくると不機嫌になる「いわゆるケチ」だが、こういうお金は出来るだけ出してあげたいと思う。
ヒッカドゥワに着いて早々、長女は運良く現地の幼稚園に入園。子供同士は笑顔だけで仲間になれるようで、すぐに友達が出来て楽しく過ごせたようだ。
言葉が通じなくてもコミュニケーションして通じ合えるなんて素敵だと思う。
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そんな感じで少し安心していると、次女が体調を崩して現地の病院に入院という報告。
妻も付き添いしたが、中々体調が戻らずに退院したのは2週間後だった...。
妻は英語が得意ではないが、周りのサポートと根性で窮地をなんとか乗り切った。
後半は海に入ったり、友達と遊んだりと楽しい日々を過ごせたようだった。
少し日焼けした顔で帰国した皆は少し自信がついたような顔で我が家に戻ってきた。
そしてひと言、「パパ来年も行かせて!」と妻。
反射的に「次はパパの番だ!」と僕。
そう、彼女たちが居ない間にずいぶんと自分のサーフトリップのイメージをしていたのは隠せない。
半年も海に入っていないし、どこに行こうか迷ったが、ここ数年通っているチマジャに行くことにした。
あそこの波なら半年のブランクを埋めるに丁度良い。
玉石のボトムに少しメローなライトハンド。
そして、何よりローカルのAgusがいる。
去年、Agusとはチマジャ、タートルズ、バツカラスにジョグジャカルタと何千キロも一緒に旅をした仲間だ。
2012年4月のGW前、インドネシア行きの一番安いチケットを取り、僕は一人で飛行機に乗った。
周りの友人にも声を掛けたが、「ハルさんはいつも突然誘うね。行けないよぅ」という声ばかりだった。
という訳で今回は一人旅...。
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怪我のリハビリも兼ねて過去に数回訪れているインドネシアのチマジャに向かったハルさん。
次回の「One Earth」では、現地ガイドのAgusと共に波を追い求めます。
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