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「南スマトラ2012年夏⑥」

2012-10-06 更新
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「Cimaja」で良い波を堪能した僕らは1度海から上がり、少しだけ高級な「Cimaja Square」というレストランでランチを食べることにした。
すると、そこにいたローカルの一人が、「近くのKarang Sariも波が上がっていると思うよ!」と言っていた。

2年前、インサイドのプルアウトポジションでチューブに入ろうとして巻き上げられ、ボードを折ったあげく、腰をボトムに強打してしばらく歩けなくなった曰く付きのポイントだ...。

ランチの後、僕らはバイクで20分ほどの所にあるそのポイントへ向かったのだが...。

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「Karang Sari」は半島に沿ったポイントブレイクでボトムはサンド。「Cimaja」よりも波は1サイズ小さく、波打ち際は穏やかで沢山の海水浴客で賑わっていた。

波は腰位と小さいが、せっかく来たので少しだけ海に入ることにした。
2本ほど乗った後、あまりにも波にパワーがないので、渾身の力でUP&DOWNを繰り返しているとお尻の骨が「ポキポキッ」と鳴った...。
その瞬間から足に激痛が走り、力も入らなくなって這うようにして岸に辿り着いた。
遠藤も異変に気づいて海から上がってきてくれた。

すぐにAgusと地元の漁師さんに連れられてドクターっぽい格好をしたおじいちゃんの診療所へ向かい、横になるように言われてオイルをつけての強烈なマッサージを受けた。
Agusも「これで大丈夫だ!」と言っていたので、少し安心したが、30分位施術を受けて立ち上がろうとすると、想像を超えるような激痛に悶絶...。

やはりマッサージは良くないと自分で判断し、氷で30分ほどアイシングした。
インドネシアではアイシングをしてはいけないらしい。日本とはファーストエイドの方法が逆なのだ。

そこから2日間は、少しでも居心地が良い「Cimaja Square」の部屋に移った。
自分の部屋のベッドからほとんど降りることも出来ず、シャワーを浴びるのにもパンツが脱げないほどだった。
(日本に帰ってから病院で診断を受けたら肉離れだった)

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翌朝、遠藤とAgusは最終日のセッションに「Cimaja」へ。波は昨日と同じパーフェクトコンディションで、最高だったようだ。頭半のセットはそれなりにパワーがあって、ローカルの一人がテイクオフに失敗...。
体中血だらけになって、涙まで流して痛がっていたという。

その日の夜、僕と遠藤は、今回共に旅をしたAgusを始め、ローカル達に別れを告げて帰路についた。

空港では車椅子を借りたり、子供が良くやるように荷物用のカートの上に乗って移動した。
帰国して1ヶ月が経とうとしているが、未だサーフィンには行けていない。
歩くのには支障がなくなったが、肉離れというのはなかなか治らないらしい...。

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今回の旅を振り返ると、インドネシアという国は改めてサーフィン天国だと実感した。
バリを含め、インドネシアには今回で10回目の渡航になるが、メンタワイ、ノーススマトラ、アチェ、スンバなど、未だ行ってない場所も沢山ある。

南アフリカや南米にも行ってみたい。
でも、10日間の休みで高い飛行機代と4日間も移動に費やすと思うと最近はなかなか足が向かないものだ...。

話は変わるが、先日、妻に「50歳になったら半年ほど放浪したい」と打ち明けた。

「私達もどこかで合流できるならいいよ」と言ってもらった。
50歳まで、あと4年半後だ。
会社は認めてくれるだろうか?お金は回るだろうか? 
無理かもわからないけど、目標は大きく持つものだと思う...。

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旅の最後は上手くいかなかったものの、早くも野心を燃やしているハルさん。
「50歳からの放浪記」は4年半後のお楽しみとして、次の行き先はどこになるのか?
新しいストーリーが届き次第、すぐにお伝えします!

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