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「インドネシアトリップ2013年GW①」

2013-05-16 更新
20130516ja


「一つの事を続けるのは容易なようで結構難しい」

僕がサーフィンを始めたのは、今から30年ほど前の16歳の時。実家がサーフポイントから近かったので、膝サイズでも波があれば学校が終わると毎日のように海に通い、サーフィンに明け暮れていた。

サーフィンを初めて約2年。家庭の都合で我が家は東京に引っ越すことになった。当時はBCMのような便利な波情報サービスは無く、波があるかどうかは自分で天気図を読んで判断しなければいけない時代。
しかも東京から近い湘南の波は、コンディションが変わりやすく、波を外すことも多々あった...。

時間と電車賃と運をかけて海に通う環境になると、サーフィンから徐々に遠ざかり、確実に楽しめるスケートボードにはまっていった。

それから7年後、ひょんなことから海へ一緒に通う仲間が出来ると、再びサーフィンに没頭するようになった。
車の免許を取得し、ほぼフラットの日が無い千葉や茨城に通えるようになったからだ。
自然の中で動力を使わず、しかも手軽にできるサーフィンの素晴らしさを改めて実感すると、止めていた7年間の事を非常に後悔した。

そして以後どんな状況になってもサーフィンをずっと続ける決意をした。

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僕は昨年のサウススマトラでの旅の終わりに、膝腰のビーチブレイクで必要以上に強いパンピングをしてハムストリング(お尻の下)の肉離れを起こした。
帰国して病院に行くと、かなりの重傷と診断された。

冬の訪れと肉離れの再発の怖さから、すっかり海に行くのが怖くなってしまった。東京や大阪などの都市に住むサーファーは、状況が異なるにせよ、結婚、出産、引越し。そして僕のような怪我などをきっかけに海から離れてしまう人が多いと思う。

肉離れをしてから暫くして、ストレッチや足を引きずりながらのジョギングを再開。衰えた身体を少しずつ回復させていった。

僕の仕事はスノーウェアの輸入なので、冬の間は雪山が中心の生活になる。最近のスキーやスノーボードはサーフボードからのフィードバックが大きく、ロッカーという形状が大ブームとなっている。
雪崩の危険性は常につきまとうが、雪山にハイクアップして地形を波と想定して粉雪をスプレーのように高くスプラッシュさせるのは、スキーでもスノーボードでもサーフィンをイメージすることが出来る。

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春になり、雪が解けるまで波をイメージして感覚を少しでも取り戻そうとしていた。スノーシーズンが終わり、今回はどこに出掛けようかずいぶん悩んだ。
憧れのメンタワイに行きたかったが、色々な理由が重なって今回は見送ることに...。

次の候補は、メンタワイ以外に数年前から気になっていたジャワ島のパチタン。
2年前に同じエリアにあるバツカラスに行った際、ローカルからその情報を聞いていた。サイトを調べていると、今は日本のサーフトラベルの会社(数社)からパッケージも販売しているようだ。

パチタンを調べている内に、どんな波、人、ロケーションが待っているのかワクワクしてきたので、今回の旅先はそこに決めた。

行く場所と日程が決まれば後は早い。家庭と会社に旅の申請を済ませると、飛行機のチケットを手配した。成田〜ジャカルタ。ジャカルタ〜ジョグジャカルタはオープンチケットを予約した。
パチタンと相性が悪ければ、中継地点のジャカルタから行けるチマジャに移動できるようにするためだ。

仲間は20年来の波乗り仲間の保坂と途中のジョグジャカルタで合流する予定のチマジャローカルのAgusだ。
Agusはサウススマトラやバツカラスなども一緒に旅した最高の仲間。

今回もこんな波に出会えるだろうか...。
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次回の「One Earth」は、成田を飛び立って目的地へ。
友人と共に波を追い求めます。

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