「バリ島・バイク旅2013年秋②」
2013-10-04 更新
初日にレギャンで2時間ほどサーフした後、僕らは次なる目的地に移動することにした。
そう、10年来の親友「Diego」と再会するために...。
いまから10年位前のこと。僕の元にある1通のメールが届いた。送り主はウルグアイ人で、名前は「Diego」、コスタリカで日本人向けのガイドオペレーションをしたいという内容。僕がスリランカでローカル達とサーフショップやガイドをしていたことを人づてに聞いたそうだ。
コスタリカには20代に一度行ったことがあり、とても気に入っていたから、その話に僕の心は躍った。
最初に「Diego」に会ったのは日本だった。親睦を深めようと暖かい季節には千葉の海へ。冬にはスノーボードに一緒に出掛けた。
スリランカの件でお世話になった日本のサーフトリップ専門会社のサンライズホリデーと「Diego」を繋ぎ、日本からコスタリカサーフツアーが発進。
僕もサンライズホリデーが組む取材や、仲間とのツアーで2回コスタリカに行った。
日本からは遠いけど、コスタリカは日本人が楽しめる波が沢山ある。ビーチブレイクが多く、新島の波のようにパワーがある。2回共素晴らしい旅だった一方、「Diego」のおかげでハプニング続きだった...。
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コスタリカにプロサーファー3人とカメラマンで取材に出掛けた時の話。
「Diego」はサンホセの空港で僕らをピックアップする予定だったが、彼はネット環境とかけ離れたパナマの僻地でサーフしていたため、僕らの到着日の前日まで予定を知らなかった。
前日にスケジュールを知った彼は、大慌てで長距離バスを乗り継ぎ、有名なパナマ運河に辿り着いた。
しかし、コスタリカ側に渡ると税関で止められたのだ。パッキングを確認しなかった彼のバックの中には、パナマ国内で手に入れたラピスという安い宝石が大量入っていた。
いつかどこかの国で安く売ろうとしていたらしい...。
それを税関員に見つかり、価値を証明できなかったものだから、運悪く牢屋に入れられてしまったのだ。
数日後にようやく連絡がとれて再会するまで、僕は自分でレンタカーを借りてプロサーファー達を案内することになった。
その後もハプニング続きだった。
コスタリカの海岸線はかなりのダートロードで、スタックすることもしばしば。人数が多かったことを理由にハイエースのようなバンを借りたのも失敗だった。
「Diego」が運転しても、何度も溝にはまり、全員で車を押すので海から宿に戻るだけで皆泥だらけ...。
溝自体を避けようと車を勢いよく突っ込むようになると、レンタカーの下回りは数日でボコボコになった。
レンタカーの借主は僕なのに...。
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なんとか取材を終えた僕らがコスタリカを出国する際に「Diego」はアラスカに行くと言っていた。
アラスカは一部の旅行者には有名な稼ぎ場。数か月間、船に乗り込んで鮭やカニの漁を命がけでするのだ。
もしも大漁だったら、かなりの報酬が受け取れるらしい。
実際、「Diego」は何度かアラスカで大金を稼ぎ、サーフトリップを続けていた。
その時もお金が尽きかけていたので、一攫千金を求めての渡航だった。
アメリカ国籍ではない彼は、正規で労働ビザなど下りないので、コスタリカのサンホセからメキシコまで飛行機で飛び、アメリカの国境を密入国してサンディエゴあたりから国内線に乗ってアラスカに渡るという計画だった。
しかし、イミグレーションの目は節穴ではない。僕らが帰国した数日後、アラスカでも数日間の牢獄生活をしたと出所後にメールで知らせてきた...。
そういうドジ!?な「Diego」だけど、優しくてノリがいい。
彼の旅の失敗話を聞いていると、まるで本を読んでいるようだ。
「Diego」は20歳で母国を出てから20年間も旅を続けている崇拝にあたる旅人。
彼は東南アジアのこの地に魅せられて、5年ほど前からバリ島に住んでおり、僕に遊びに来るよう何度も誘ってくれていた。
「Diego」を訪ねる旅というのは、僕の中の以前からのテーマだった。
丁度10年振りの再会だ。
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今回の「One Earth」はここまで。
次回は「Diego」と10年振りの再会を果たし、いよいよ本格的なサーフトリップに!
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